Katate Masatsuka (方手雅塚)

Katate Masatsuka speaks.

おっさんが語る、1994年の渡米秘話:思いおこせば 90年代初頭。 あの頃のわしはまだダンゴムシやった。

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平成19年9月23日のインタビューより

おっさん: そうやなあ、思いおこせば 90年代初頭。 あの頃のわしはまだダンゴムシやった。 もちろん大学には通ってた。しかし、しょせんはダンゴムシや。 いくら勉強しても将来仕事が見つかる保証はない。なんせ、誰かが近づいてきたら反射的に体が丸まってしまうんやからな。「これはダンゴムシの習性 だからしょうがないんだ! 俺にもどうしようもないんだ!」と、いくら説明しても 理解してもらえない。「そうやっていつまでも丸まってろ!」だとか、「丸いのはお前だけじゃないんだぞ!」などと言われて、軽くつままれて放り投げられ てしまうんや。でも俺は頑張った。 優秀な成績を修めれば、みんなきっと分かってくれ ると思ったんや。そして努力の甲斐あって、1994年の春にはもう学科でトップになってた。そらあ、みんなびっくりしてたで。「やるじゃん、あのダンゴムシ!」「ダンゴムシ君、素敵ぃー!」とかいって、その頃から人間の友達も増えてきたんや。

西川氏: (真実も交じってるような気もする が、わけわからんわ)

おっさん: そして1993年の春、あるゴリラの教授のゼミに所属することになったんや。このゴリラの教授との出会いが、わしのその後に大きく影響を及ぼした。このゴリラの教授は昔アメリカの大学で教えていた人で、いつか自分の学生を米国の大学院に送り出したいと思っ てたんや。それで、講義も洋書のテキストを使って、アメリカの大学院レベルの内容を、アメリカ的に毎週宿題をバンバン出しながら教えてたんや。でも、そんなことしたら、バブル時代の学生は誰もそんなしんどい講義は取らない。しかも、先生はゴリラや から、胸をバンバン叩いて怖いし臭いし、誰も寄り付かんかった。そんな中、その講義を聴いていた極少数派の中にわしが居たんや。 実はわしは アメリカへ大学院進学しようと考えていろいろ準備もしてたし、人間の学生も逃げ出すような厳しい講義が楽しくてたまらんかった。そうして、わしはコロコロと鍛えられていくことになるんや。それから数ヶ月も経てば、「おい、ダンゴムシ!ノート貸してくれよ!」「ボクの講義ノートは全て英語で書いてるんだけど、それでもいいかい?」「ヒ、ヒぇ~!」ってなもんで 周りにはもうわしをバカにする人間の学生はいなくなった。

西川氏:  (好き放題言うとるなあ。アホやなあ)

おっさん: そして大学4年目の夏。アメリカ の大学院進学に向けてTOEFLやGREの勉強に精を出していたある日、ゴリラの教授が 言うたんや。「ダンゴムシ君。東大の大学院を受けてみないか? 君なら合格するから。そしたら、アメリカの大学院にもいい推薦状が書けるよ」 わしは躊躇したけども、東大観光も悪くないと思ってコロコロと受験しに行ったんや。すると、なぜなのかわからんが合格。さあ、えらいこっちゃ。親は「東大行っときなさいな。アメリカはもうええやんか」、他の人間の人達も「なんで東大行かないの? ダンゴムシ君の考えることは分かんないあ」、挙句の果てにはゴリラの教授までも「東大は気持ち良いんだよねえ。本当にまだアメリカ に行きたいのかい?」ときたもんや。

西川氏:  (で、東大って何の略や?)

おっさん: さあ、ここからが問題や。東大に入学するか否か。一つは、アメリカの大学院は翌年の9月開始で、日本の大学院は4月開 始からやから、4月から9月まで時間がある。しかも、アメリカの大学院の合否が出るのは5月頃やから、4月の時点では本当に渡米できるかどうか分からない。さらに、ある別のゴリラの教授に、胸をドンドンしながら「ダンゴムシ君、取りあえず4月から東大に入学しなさい。でないと推薦状は書けないよ!」と言われたということもあった。とにかくその他モロモロで、ベロベロのビロビロに なってしまい、複雑怪奇現象な心境のまま、結局東大大学院に入学することになったんや。

西川氏: (どこまでがほんまやねん?)  

おっさん: かくして1994年の4月から東大航空学科に入った。で、それはもーう楽しかったがなー。研究室パーティーのスイカ早食い競争で皮まで食べて 優勝、航空学科のサッカーリーグ(Kリーグ)でビッグマウス・ダンゴムシと呼ばれて大活躍、研究室旅行で富士山に登って クルクルパー。さらに、研究室の集合写真に合成を施して教授を笑わせて、それはそれ はほんまに楽しかったがな。この頃はもうすっかり自分がダンゴムシであることも忘れていたほ どや。

西川氏:  (忘れられるのか?)

おっさん: さあ、そんなハッピーな日々が苦 悩の日々に変わったのは、ミシガン大学から合格通知が来たときや。これでアメリカに行ける。さあ、どうするダンゴムシ?

西川氏:  (で、アメリカに来たんやんか。 ちゃっちゃと話を進めろよ。もう時間ないねんけど)

おっさん: それはもう、いろんなことを考えた。 このままここを卒業したらええ会社に入れるかもしれん。でも、しょせん俺はダンゴムシ。たとえ東大大学院卒になっても、すぐに丸まってあっちへこっちへと転がって、「おい、何転がってんだ! このダンゴムシ野郎!」と罵倒されるだけや。どうせ転がるならアメリカや。アメリカ人ならきっと「Hey, Man! You’re rolling, man! Cool, man!」といって歓迎してくれるはずや。そうして7月の半ば、俺は決断したんや。行くぜ、アメリカへ! そして東大の人間の教授に告げた。「あのぅ~、俺、アメリカに博士号を取りに転がってきます!」まさに青天の霹靂。人間の教授は何も知らなかったんやから。。。。。

西川氏:  (あかん、眠たくなってきた。。。)  なんで最初からアメリカ進学計画のことを言わなかったんですか?

おっさん: それが難しい話なんや。わしは言いた かったが、いろんな人に「わざわざ言う必要はない」とアドバイスされて、実際アメリカに行けるかどうかもわ からんかったんやから。 当時それは難しかったんやって。っていうか、お前はウルサイねん。 黙って聞いとけや!

西川氏:  はーい。(もう寝よ。グー、グー)

おっさん: 東大の人間の人達は大パニックや。 でもそんな中、いろんな人間の人達が応援してくれて、最後には送別会までしてくれた。これにはダンゴムシのわしも泣いたわ。「ダンゴムシ、アメリカで一生懸命がんばります! いつの日か国際学会で再会致しましょう!」そう言って、丸の内線のホームに コロコロと転がっていった。8月には堺の実家に戻って荷物をまとめ、伊丹空港からデトロイトへ飛んだがな(当時、関空は未完成)。それが 1994年8月29日のことや。 その日から“ダンゴムシ in アメリカ”の日々が始まったんや。全ては伊丹から始まったんや!

西川氏:  グー、グー、グー、グー、、、、

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Written by Katate Masatsuka

January 17, 2018 at 6:59 pm

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