Katate Masatsuka (方手雅塚)

Katate Masatsuka speaks.

回想:青春の日本人学校 – Koby International Academy

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ミシガン大学大学院に入学して2年ほど経った頃、
ある人が私を探していると人づてに聞いた。
それは、Koby International Academy (KOBY)のコービィ氏だった。
連絡を取り、以前ちょくちょく顔を合わせた酒場で彼と再会した。
彼は「補習校をやめて、俺のところに来ないか」と言った。

その時代、デトロイト近郊には本格的に帰国受験に対応した予備校がなかった。
個人経営の学習塾は存在したが、帰国受験用の英語や数学等の科目を教える塾は無かった。
コービィ氏は、いずれ日本に帰国する日本人子女の為の本格的な学校を作るべく、
通訳として活躍していた会社を辞め、1993年、KOBYを設立したのだった。
一通り話を聞き、私は彼の話に共感した。
「それは是非ともやりましょう」
私は臨時講師要員として待機中だった補習校をやめた。

労働許可を取得し、私は大学院に通いながらKOBYで教え始めた。
それはちょうど私が結婚したころだった。
平日は夕方、土日は朝から、毎日のように教えた。
小学校の理科、中学校の数学、理科、高校の数学、物理、さらには
大学のMBAに在籍する社会人の方の統計学のチューターを勤めたこともあった。

私は自分の役割について明確なイメージを持っていた。
KOBYに入ってくる多くの生徒達から「俺は勉強する為にKOBYに来たんだ」
という言葉をよく聞いた。彼らを失望させてはならない。
私は「学べなければKOBYではない」をモットーに毎回の授業に望んだ。

その後、KOBYは飛躍的な成長を遂げた。
塾、予備校に止まらず、補習校、幼稚園、全日制にまで発展した。
そんな中、私は「青春の高校数学」全3巻を完成させた。

2007年、私はバージニアへ引っ越すことになり、KOBYを離れた。
その翌年の暮れ、KOBYはおよそ15年の歴史にピリオドを打った。
学校自体は同じ場所で別の学校として存続しているが、
私にとっては一つの情熱の時代の終わりを告げる出来事だった。
KOBYでのあの10年は本当に熱い10年だった。

Written by Katate Masatsuka

March 3, 2013 at 10:26 pm

Posted in History

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