Katate Masatsuka (方手雅塚)

Katate Masatsuka speaks.

回想:長いポスドク時代の最終話

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ポスドク6年目の2007年4月、私はボルドー大学に滞在中だった。
2週間の滞在が終わる頃、突然、所属していたミシガン大学からEメールが届いた。
「研究費が更新されない見込みなので、7月末で解雇となります。」
驚くことはない、ポスドクにはよくあることだ。
私は3ヶ月で新しい職を見つけなければならなかった。
すぐにボルドーから数少ない知り合いにメールを送った。
その中の一人に、NASAラングレー研究所の人がいた。
返事はなかった。

ミシガン大学に戻り、上司にあたる教授と話したが、
どうにもならないことは分かっていた。
彼は、心配しながらも、いつものように黙ってヨーロッパへ消えた。
もう一人の教授は「いつまでもポスドクはできない。決断する時かもしれない」と言い、
ある会社を紹介してくれた。私はその会社に連絡するのをためらった。
私には研究を続けなければならない理由があった。
それは一つのアイデアだった。
まだ生まれたばかりの卵だったが、その成長を想像すれば身震いがした。
私が生んだアイデアは、私が育てなければならない。
何とか教授職や研究職を求めたが、極端に実績の少ない私に興味を持つ所などどこにもなかった。

数週間後、面識のないNASAの研究者からEメールが来た。
「研究者を一人探しているが、市民権あるいは永住権を持っているか?」
「永住権は持っている」
「詳しいことを調べて、また連絡する」
しばらく経ち、
「面接に来れるか?」
「もちろん」
「研究者募集の広告を出すから、応募したければ応募してくれ」
私はすぐに応募した。面接に呼ばれ、6月14日、バージニア州へ飛んだ。
一時間の プレゼンテーション を行い、多くの人と議論をした。
あらゆる点でフィットし、私以外に雇うべき者がいるのかと思ったが、
良い返事をもらえないまま、とりあえずミシガンに戻った。

失業まで残り一ヶ月半。
他にオファーをもらえそうなところは皆無だった。
ちょうどその頃、アルバイトをしていた日本人学校は春学期を終了する頃だった。
私は生徒達に「うまくいったらこれで最後になるが、うまくいかなかったら
秋学期にまた会いましょう」と言って、学期最後の授業を終えた。

その後何をしていたのか、今となっては思い出せない。
そして7月31日。失業前日。
電話が鳴った。
オファーを伝える電話だった。
私は研究者として生き残った。

Written by Katate Masatsuka

November 21, 2012 at 4:57 pm

Posted in History

2 Responses

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  1. いい話っすね… 僕もかなり土壇場でオファーもらったんで気持ちわかります。

    Tomoki

    November 21, 2012 at 5:42 pm


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