Katate Masatsuka (方手雅塚)

Katate Masatsuka speaks.

小黒晴夫教授とは

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小黒晴夫教授は、西川君の東海大学時代の指導教官。
東大物理学科出身、カリフォルニア工科大学航空学科へ留学、
その後ノースキャロライナ、シンシナチ大学で12年間教え、
帰国してからは東海大学航空宇宙学科で教えていた。
色白で白髪、英語交じりの日本語、欧米的しぐさが特徴で、
他の教授からも一目置かれる存在だった。
いつか米国の大学院に学生を送り込みたいと思っていた小黒教授の講義は、
テキストが全て最新の洋書、毎週のHomework、そして厳しい試験。
多くの学生に敬遠され、受講生はいつもごくわずかだった。

大学入学時から米国大学院を目指していた西川君は、
そんな小黒教授の講義に引き付けられ、流体力学、
空気力学の基礎を小黒教授から徹底的に学ぶこととなった。
最後は小黒教授の下で卒論を書いたが、その年の小黒ゼミ生は
西川君ただ一人だった。ある教授は「贅沢なゼミだ。
俺が教えて欲しいぐらいだ」と言った。

小黒教授のゼミでは、3年に1人の割合で東京大学の大学院に合格する者が
出るという伝統があり、小黒教授は「優秀な学生はみんな東大に
行っちゃうんだよ」とよく言っていた。が、西川君に東京大学の大学院
を受験するように勧めたのは小黒教授だった。
合格すれば米国の大学院へ良い推薦状が書けるからという理由だった。
果たして合格したとき、小黒教授は「まだアメリカに行きたいかい?」
と西川君に聞いた。西川君は「もちろんですよ!」と即答した。
しかし、この合格から西川君の苦悩の日々が始まったのだった。。。

いろいろあって、やはり8月末に渡米。後に、東海大学の同窓会だよりに、

「この3月に卒業して東大の大学院に進学した西川君が、
長年の夢が実現して、ミシガン大学航空宇宙大学院留学の為、
この9月に出発したことも、最近の最も嬉しい事件の一つでした」

と小黒教授は書いた。

渡米後も手紙の交換を続け、結婚のお祝いも頂いた。が、
いつの頃からか連絡がなくなり、2003年、亡くなっていたことを知った。

小黒教授の講義ノートは今も大事に持っている。
その影響が如実に反映されているのが「I Do Like CFD, VOL.1」である。
よりしっかりした内容となる改訂版を小黒教授に捧げようと思っている。

Written by Katate Masatsuka

April 17, 2011 at 9:15 pm

Posted in About Author, History

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