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第2回ボルドー大学滞在選手権: 緊急レポート1
月曜から激しいバトルが続いている第2回ボルドー大学滞在選手権。初戦の相手は空港からホテルまで運んでもらったタクシードライバー。うまく渋滞に巻き込んでイライラさせたところを、最後にゴキゲンチップバスターをかまして堂々のKO。第2戦の相手はホテルの従業員レイデー。機嫌良く朝食を取っているところ英語的に「朝食は含まれてないわよ」とかまされ不覚にもダウンを喫したが、即座に禁断の大技 “大学が朝食代払うスープレックス”で、レイデーを逆転KO。続く第3戦は、学生達とのランチバトル。いきなり「お前、何の勉強してんのん?」と、オナイドッシラリアートで出ばなをくじかれたが、ミタメヨリオッサンナノ固めで完全にロック! 次々と語られるオッサンな会話に学生達は次々とノッキングダウニング。そして第4戦は研究者や学生達とのバトルロイヤリング。驚くことに研究者もイタリア人なら学生達もイタリア人。次から次へと襲いかかるイタリア人プレーヤーにボンジョルノで対抗するが歯が立たず、いよいよチャオするかと思われたが、見事なマンジャーレで一気に巻き返し、全員を見方につけることに成功した。さて、週末もバトルは続き、来週はいよいよ後半戦だ。数々の困難が待ち受けているが、必ずや優勝してみせる。
やらなくてもいいことをやれるかどうか
プロ野球選手になりたいというのでもいい、
多くの人よりも大きく一歩前へ出たいと思うとき、
果たして自分に出来るのだろうかと疑問に思うことがある。
はっきり言って、絶対に出来ないという理由は存在しない。
ただ、ほとんどの場合、努力することが必要になる。
そして、その努力は人並み外れたものでなければならない。
例えば、通常の練習のみでは、他の多くの者と同じような所までしか行けない。
その先へ行きたいのなら、弱点を克服し、より高いレベルへ進むために、否、
それが実現できるまで独自に練習を重ねることだ。
研究であれば、要求される結果を出して満足せず、常にその先を考え模索を続けることだ。
宿題であれば、よりハイレベルな宿題を自ら作成して解くといった努力を続けるのもいい。
これら人並み以上の努力というのは、実際多くの偉大な人間から学ぶことができる。
考えてみれば、そのような独自の努力というのは、元々やらなくてもよいものだ。
普通、人はやらなくてよいことはやらないので、多くの人は普通ということになる。
普通以上の人間になりたいのであれば、やらなくてもよい努力を重ねなければならない。
人並み外れた努力に才能はいらない。やるか、やらないか、それだけである。
ただ、重い腰を上げるためには、何か情熱とでもいえるようなものが必要かもしれない。
「僕、プロになれると思う?」と子供が聞いた。
「なれる。普通の人以上の努力をすれば必ずなれる」と私は答えた。
日本語ツイート抜粋 2009-2011
2011年12月20日(火)
人生は迷路か。
だとしたら、出口から辿ってくれば、逆に今進むべき道が決まる。
それでも迷うのは、出口が定まらないからか。
それとも明確な道を進むことを嫌うからか。
2011年12月15日(木)
私はどうするか?
私は独自の道を切り開いていかなければならない。
妥協はオプションにない。
これまで何度も妥協に失敗してきた。
大局的見地を見失ってはならない。
2011年12月12日(月)
ある学会賞についての話。
「彼は多くの研究者から嫌われている。彼は賞を取れないだろう」
確かに賞を取るには複数の推薦が必要だ。
もちろん、研究自体のインパクトが重要なのは言うまでもない。
ただ、人間関係に影響されるようなものであるとしたら、私は興味を持たない。
2011年12月05日(月)
いつか自分が死んだ後、果たして何が残るだろうか。
何を残せるだろうか。などと考えたことがあるかい?
私はある。
そして、残したいものがあるから、そう簡単に死ぬわけにはいかないと思う。
2011年12月03日(土)
研究となれば話は別だ。深く考えるのが研究だ。
どんなに深く考えても、深すぎるということなどない。
恐ろしいまでに深く。楽しようと思ったら終わり。
誰も知らないものを見つけようと思ったら、
誰も行こうともしないところまで深く進むしかない。
深く考え過ぎず、シンプルにいく方がいい。
何の為に勉強をするのか。何の為に働いているのか。
一体自分は何のために生きているのか。
答えが見つかれば素晴らしい。見つからなければ、考えるのをやめて、
今目の前にある命題に全力で取り組む。全力で。恐らく答えはいずれ見つかる。
2011年11月24日(木)
やれることをやれる時にやらなければならない。
結局やれなかった、となることは絶対にあってはならない。
と思うことが大事だ。
2011年11月22日(火)
仕事にはおつりがある。
懸命に働いたとき、それはこぼれ落ちる。
おつりを貯めて次のステップへの礎とする者もいれば、
おつりを生み出す為に懸命に働く者さえいるだろう。
おつりを拾うことを忘れてはならない。
2011年11月16日(水)
私は頭が良くないことを自覚している。
しかし、時折面白いことを思いつくことがある。
そして、面白いことを思いついたとき、私は少しだけ頭が良くなる。
2011年11月01日(火)
研究の世界は果てしなく、奥深く、木目細かなものだ。
常に想像以上に徹底的な思考が必要とされる。
知っていると思ってしまったら、その時点でもう終わりだ。
立ち止まることなく、常に走り続けなければならない。
2011年10月27日(木)
忙しいからと言って断ることができない。
時間があるときはゆっくりやり、忙しいときはさっさとやる。
それぐらいしか違いが無いと思っている。
2011年10月23日(日)
周りを見て、「自分はこんなに頑張ってるのに。。」と思うのはやめた方がいい。
自分が頑張ることは自分自身の中で完結すればいい。
自分が頑張ることで本当に利益を得るのは自分自身だ。
そう思えないなら、頑張り方を考え直した方がいい。
2011年10月04日(火)
少なくとも私の研究分野では、発見というよりもむしろ新しい解釈というものを探求している。
それが役に立つならナイス。さらに世界を広げるものであればグレイト。
2011年09月28日(水)
博士といっても物知り博士ではない。
私は記憶力も脆弱で無知だ。
だから、学んだことは書き留めておかなければならない。
それが研究論文になり、本になれば素晴らしいことだ。
と思わないか? 思うだろ。 私もそう思う。
2011年09月18日(日)
作文は大事だ。高校、そして大学でも作文を徹底して教育するべきだと今も思っている。
エッセイ、事業/研究計画書、広告などなど、いろんなテーマで書き書きし、様々な角度から批評し、
より良い(理解しやすい)ものへと導く。リビジョンに終わりはない。
2011年09月17日(土)
流れを変えようと思った。
かつて「外人並みっすね」と言われたこのモミアゲを剃ってしまおうと思った。
が、できなかった。長年苦楽を共にしてきたこのモミアゲを切り捨てるようなことは、やはりできないのだ。
その夜、モミアゲをつたう一粒の汗を見た。
目頭が熱くなった。
剃らなくて良かったと思った。
2011年08月09日(火)
きっと、力の限り努力を続けて突っ走り、最後の最後まであきらめず、血反吐を吐いても戦って、
それでもしかし成功せずにくたばってしまう、というのが理想のストーリー。
が、しょせん現実は理想どおりにはいかない。
2011年05月29日(日)
くじけそうになることってあるね。
でも、くじけなければOK。
2011年05月21日(土)
今までのやり方でうまくいかないことが分かったら、後悔するよりもまず改善策を考えて即実行しましょう。
2011年04月02日(土)
私にとって研究とは解釈することだ。少し見方を変えるだけで、一気に応用が広がったり、
今まで困難だと思われてきたことがあっさりと解決したり、
時には誰も足を踏み入れたことのない未開の荒野を目の当たりにする。
それが起きたときの感動といえば、それはもう途轍もないものだ。
2011年03月20日(日)
「人に尊敬される立派な人間になれ」子供に毎日のように言っている言葉。
これは他のいかなることにも優先する最も大事なことだと思っている。
2011年03月07日(月)
高校時代、学内偏差値20を取り、次の試験で70点以上取らないと単位を落とす(留年)という場面もあり、
職員室に呼ばれ「お前新聞読んでるか?どうせテレビ欄だけやろ」と言われたこともあった。
あの頃、本当に何の為に勉強するのか分からなかった。
今も、意味の分からないことはしない傾向がある。
世の中何とでも言えるね。
如何に不利な立場になろうと何とでも主張できるし、
如何に理不尽なことでも耐えなければならない理由を必ず見つけることができる。
そこで必要になるのは強い意志や信念のようなものかもしれないね。
2011年02月26日(土)
確固たる根拠もなく理解した気分になっていることってないかい?
そこに根拠を提示して反論されたとき、人間が試される気がするよ。
2011年02月18日(金)
研究者でも、明らかに数学的に間違っていることを「間違っていない。お前の理解が足りない」
と主張するような人がいる。人間性が論理性を歪める。
2011年02月16日(水)
何かをやりたいと思ったとき、やる前に人に相談するよりも、
やりながら人に相談した方が、良いアドバイスをもらえたりするものだ。
2011年02月06日(日)
ふと振り返ってみると、毎日コツコツやるというよりは、
今だと思った時にバリバリバリっとやり過ぎるほどまでやるのが
私の仕事のスタイルなのかもしれない。
2011年02月03日(木)
子供は楽しく現地校に通っている。
宿題もこなしている。
しかし、本当に英語をしっかり理解しているかというと、それは分からない。
「いじめに全く気づかなかった」みたいなことにならないように、しっかりとサポートしていこう。
2011年02月02日(水)
論文を書くときはいつも「これが最後の論文になるかもしれない」と思って書く。
そのせいか、ついついページ数が増えてしまう(前回は82頁)。
次は10頁程度の短い、しかし歴史に残る「最後の論文」を書こう。
2011年01月28日(金)
昨年の成績表を受け取った。
5段階評価の4.5。
学校の成績と違ってこれが昇給に直結する。
ま、給料はだいたいでOK。焦点は常にその遥か先にある。
2011年01月27日(木)
今のところ子供達は私の仕事には興味が無いようだ。
それでいい。
子供達には違う道を歩んで欲しい。
2011年01月14日(金)
例えば、解釈(アイデア、見方)に「正しい」や「間違い」はなく、研究なら役に立つかどうか、
お笑いなら笑えるかどうか、芸術なら感動するかどうかがその価値を決める。
2011年01月07日(金)
逆境ってのはいい。燃える。情熱がほとばしる。
2010年11月11日(木)
自分がこういう経験をしたから子供にはそういう経験をさせたくない。
気持ちは分かる。
しかし、その経験が結果としてプラスになったというのであれば、子供にも是非そういう経験をさせてあげよう。
子供は褒めて育てるべきか叱って育てるべきか、みたいな二者択一はやめて、褒めるべき時に褒め、
叱るべき時に叱り、褒めて伸びる子は褒め、叱られて伸びる子は叱ってあげる。そういう状況判断ができる大人になろう。
2010年10月19日(火)
「実験は失敗するから面白い」とも言えるが、
私の研究では「実験は予想した通りになるから面白い」と思うことが多い。
2010年07月06日(火)
誰かに認められるのを待っているのか?
運が向くのを待っているのか?
誰かが何とかしてくれるのを待っているのか?
待つのは構わんが、君は一体今何をしているんだ?
2010年04月15日(木
バットを振り続けることだ。
いつか当たるかもしれない?
そういうことではなくて、振り続ける人間に人は引き付けられる。
見逃し三振の人生に魅力はない。
孤独に耐えられるか
人と違うことは素晴らしいなどと言われることがある。
自分らしさ、オリジナルさ、ユニークさ、などなど。
だが、それはしばしば孤独を伴う。
君は耐えられるか?
自分が死んだら何が残るか
死んだら終わり。
世の中は自分が存在しなくても動いていく。
自分の代わりはいくらでもいる。
その存在は忘れられていく。
家族や親友は覚えていてくれるだろう。
しかし、その人達もいずれ消え行く。
自分が死んだ後、何が残るか。何を残せるか。
たとえば、長く後世に残せるものを生み出せるとしたら、
今この人生を力の限り生きることができると思わないか?
思うだろ。私もそう思う。
何を残せるかは人それぞれだ。
それは子孫かもしれない。
偉大な研究かもしれない。
音楽、芸術、会社、著書、あるいは感動のストーリーかもしれない。
残せるものを残すまで、死ぬわけにはいかない。
仕事は自分の為にやる
仕事というのは、お金のためにやるのではなく自分の為にやる。
自らの目的の為に仕事をし、おまけとして給料をもらう。
と言うと、自分勝手なイメージを抱く人がいるかもしれない。
当然、組織の為、顧客あるいはスポンサーの為でもあるが、
それに加えて、自分の為にやるという部分があるとモチベーションは一層高まる。
例えば、将来独立することを見越して、仕事を通じて知識や人脈を築いていく。
仕事で使うソフトウェアの様々な使い方を勉強して応用し、積極的なスキルアップを図る。
仕事を通じて感じたこと、学んだことを文章に綴り、例えば本として出版する。
などなど、仕事によっていろいろだろうが、自分の為に利用するという視点が必ずある。
私は10年以上に及ぶアルバイト講師を通じて、高校数学の参考書を出版した。
その執筆を始めたとき、仕事は以前よりも格段に面白くなったのを覚えている。
そして、本業では専門書の第一巻を出版。現在も、仕事を通じて第2巻のネタを
集積し続けている。ネタになることがあれば、こちらから首を突っ込んでいく。
いずれにせよ、お金はおまけだと思えれば、人生はより豊かなものになる。
と思わないか? 思うだろ。私もそう思う。
現実は理想通りにはいかない
” きっと、力の限り努力を続けて突っ走り、最後の最後まであきらめず、
血反吐を吐いても戦って、それでもしかし成功せずにくたばってしまう、
というのが理想のストーリー。 が、しょせん現実は理想通りにはいかない。”
失敗を望んでいるわけではない。
このままくたばってたまるかという、強烈な情熱がそこにはある。
絶対にこのままでは終わらない。
やれることは全てやる。
これでもダメか、これでもかと。
失敗することを考える余裕などない。
しかし、きっと、たとえ最終的に失敗したとしても、
それは一つの熱い青春のストーリーとして心に刻まれるだろう。
私はそんなストーリーが好きだ。
だが現実は厳しい。
本当にそこまでやれば、うまくいくことが多い。
子供に理想を与えてあげよう
子供の育て方は様々。
いろいろあってどれも正解といったような意味ではない。
一人一人の子供の性格に合った方法があるという意味。
モチベーションさえ上げてやれば自分で育つ子供がいる。
「なぜこんなことが出来ないのだ。」
「何度いったらわかるの! 勉強しなさいって言ってるでしょ!」
子供によっては、こういった言葉は逆効果になることもある。
どうする? 理想を与えてあげよう。
たとえば、“人に尊敬される立派な人間”。
「立派な人間はあきらめず全力で努力する。その姿に人は感動するのだよ。」
「立派な人間は、人に言われなくてもやるべきことをやってしまうのだよ。」
一旦、子供が立派な人間になりたいと思ったら、あとは理想に向かって自分で進む。
大人はそのサポートをしてあげればよい。
ちなみに、私は子供達が人に尊敬される立派な人間に近づこうと努力を
続ける限り、大学やら就職やらのことはどうでもいいと思っている。
私は人に尊敬される立派な元ホームレスを見たことがある。
理念を語れない政治家を信用するのは難しい
立派な志、理念、あるいは夢を持って始めたが、
現実に直面して苦悩し、ある者は去り、またある者は適応したり。
そんなことはどこの世界でもあると思うが、スポーツや政治の世界だけは
別だと言い切れるだろうか。かつてテレビで「実はゴルフ嫌いなんですよ」と
ぼやくプロゴルファーを見た。見たくなかった。嫌々プロゴルファーをやっている
ことを知ってしまったら、見るほうも萎えてしまう。一方、嫌々やっているとボヤ
く政治家は見たことが無いが、「皆が出ろというから出た」というセリフはどこ
かで聞いたことがあるような気がする。
政治家には日本という国に対する理念を持っていて欲しい。
それを語れない政治家を信用するのは難しい。
ラーメン屋に投資するとしよう。もうかるカラクリを熱く語る男と、
ラーメン哲学を熱く語る男の二人がいれば、私は後者に投資するだろう。
もちろん、美味しくなければ意味がないことは言うまでもない。
もっともっと話す機会を!ライブだ、ライブ!
ここ最近は年一回の学会でしか人前で話す機会がない。
これが結構なフラストレーションになってきた。
今後、話す機会を増やしていこうと思う。一つは高校数学。
2008年にやった「役に立つ高校数学ライブ」や「青春の高校数学全3巻」の内容
を合わせた「方手雅塚、ほとばしる情熱の高校数学ライブ!」をかまそう。
本業の研究でも何かできるはずだ。
まだ誰も気付かない粘性項の離散化と独自の双曲型メソッドを
モーレツな情熱でしゃべり倒してかましまくる、
「方手雅塚、モーレツ的情熱のCFDライブ!」だ。
来年の夏こそはJapan Rail Passを購入し、全国ツアーに出かけよう!
